
開発当時のエピソード

※発売当時の西宮工場

※ニューヨークにて(中央が二代目社長)
野菜フライのはじまり
アメリカの練り物メーカーとの交流や視察のため、二代目社長は貿易商の友人とともにアメリカへ渡りました。
その際、アメリカの食文化や洋食のカツレツから発想を得て、「すり身にもパン粉をつけたらどうか」というアイデアが生まれたと言われています。
こうして完成した「野菜フライ」は、調理の手間を大幅に削減できる画期的なものでした。
当時の神戸は、外国人や貿易商が多かったため、洋食屋が多い町でしたが、洋食文化が家庭でも手軽に取り入れられるということも相まって、多くの家庭で夕食のおかずとして人気を集めました。
その後、お弁当のおかずとしても重宝され、幅広い用途で親しまれるようになっていきました。
発売当初、特に流通の盛んだった神戸と和歌山では、個別包装ではなく「トロ箱」と呼ばれる海産物用の木箱に入れて販売されていました。
主に市場で取り扱われ、多くのお客様に親しまれていました。
