てっちゃんと中島らも氏
中島らも氏の広告によって、
てっちゃんの人気は全国に広がっていきました。
- 1982年8月「宝島」に中島らも氏の企画で始まった
「啓蒙かまぼこ新聞」。
11月にはてっちゃんのお父さんが登場しました。
この広告で、てっちゃんの人気も
全国に広がっていきました。
中島らも氏の広告によって、
てっちゃんの人気は全国に広がっていきました。
1982年より雑誌「宝島」に中島らも氏の企画で始まったカネテツデリカフーズの連載広告。
てっちゃん親子が登場するその内容はカネテツの宣伝とはおよそ無関係に見え、
従来の企業広告の手法をことごとく無視した大胆なものであったことから大きな反響を呼びました。
啓蒙かまぼこ新聞1983年2月号に掲載されたものです。
1983年よりプレイガイドジャーナル、1987年より「ぴあ(関西版)」で掲載された
中島らも氏によるカネテツデリカフーズの名物マンガ全面広告。
日本人は、「精神性の勝利」が大好きな民族だ。「根性」とか「勇気」などのインビジプルなものが物質の優越性を打ち崩す瞬間を見るのがこれほどに好きな民族はほかにいない。その証拠に、時代劇を見ていると、悪い廻船問屋の越後屋が、「ふっふっふ」と笑いながらフトコロから短筒を出す。と、おさむらいさんは必ず、「む、飛び道具とは卑怯な!」とくやしがるではないか、あんなものは別に卑怯でも何でもない。先行投資をして最新技術を導入しただけなのに卑怯もお経もない。カネテツデリカフーズでは食品管理に最先端の保冷技術を駆使している。卑怯千万でけっこう。「根性」で鮮度は保てない。
「冷たいこと言うなよ。友だちだろ?」というようなことを言う人には、たいていただの「知り合い」である。ポルノショップから出てくるところを発見して、何を買ったと追及できるのは「友だち」。見て見ぬふりをその場はしてあげといて、後で人に言いまくるのが、「知り合い」。ピンチのときには、絶対電話してこないのが「友だち」で、すぐに助けを求めてくるのが、「知り合い」。こういう目で見ると、思っているより「友だち」は少ないことに気づく。ところでカネテツデリカフーズのシーデリカシリーズ。お腹の長ぁい友だちだ。